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芭蕉の紅花 [Japan]

避寒&この時期最高のマンゴーを味わう為の「台北」から戻りました[飛行機]
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毎日38度超えの楽しい熱帯記事は後ほど^^

東北の梅雨と言えば「さくらんぼ」
さくらんぼの授粉には、ミツバチ君の存在・活躍が欠かせません
そのミツバチ君たちは~今年も一生懸命頑張ってくれたそうです
実を結ぶ為に「さくらんぼ」は一品種だけでは交配しないという特性があります
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山形のさくらんぼ農園さんには~
主力の「佐藤錦」と別に1割~2割の受粉樹(別の品種)が植えられています
そうする事によって、着果(実の着き)はお互いの品種とも良くなるそうです
が・・・農園&ミツバチ君の努力と愛情にもかかわらず、今年は例年になく不作
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春先に雹が降り続いたこと、その後の強風により実と実が擦れ合ったこと
等の影響だそうで今年の「佐藤錦」の姿は見るも無残 でした
毎年伺う農園さんも、今年は摘み取りをさせていませんでした
一年一度、大&大好物の佐藤錦を妊婦腹になるほど食べるのが楽しみだった私
「あぁ~この世の終わり」と思う程~ガックシ~~哀しい[もうやだ~(悲しい顔)]
ですが~梅雨時のこの時期 山形の沿道に「紅」の彩を飾るものがもう一つ・紅花 
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松尾芭蕉が元禄2年(1689年)の7月13日に天童の地を訪れ
まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉の花」「行く末は誰が肌ふれん紅の花
と、詠んでいる紅花が、山形を彩っています
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「さくらんぼ」を泣く泣く諦め「東根」から「天童」の紅花畑へ
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「さくらんぼ」がダメだからと言って、そのまま帰るわけにはいきません それがviviちゃん^^
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約7万本の紅花が満開を迎えた7月7日 山形では「紅花まつり」が行われていました
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原産地・エジプトナイル川中流域~シルクロードを辿り
6世紀ごろに日本に伝わったといわれている紅花
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山形で栽培が盛んになったのは15世紀半ばごろから
江戸初期には質・量とも日本一の紅花産地として栄えました
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紅花染料は大変高価で「紅一匁(もんめ)金一匁」といわれたほど
最上川舟運によって山形と京・大阪が結びつき
京都の舞妓・芸子さんも、山形の紅花の紅を好んだため
多くの紅花商人たちが活躍、巨万の富を築いた豪商も現れたそうです
[右斜め下]こちらは、突然変異から生まれた白紅花
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明治に入ると化学染料の台頭によって生産は衰退しましたが
戦後その保存と復興が図られ、のちに山形県花・山形市花として制定されました
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紅花で染めた将棋の駒 将棋の駒の生産量は山形・天童が日本一です
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紅花のリップクリーム作りを体験してみました
蜜蝋
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グレープシードオイル
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紅花を乾燥させ粉末にしたものを混ぜ湯煎して溶かします
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数分で液状になったものを口紅型の容器に移し
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しっかり固まるまで又数分待ちます
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貴重な紅花を使ったリップクリーム 使った翌日は目覚めた瞬間から紅ささずとも潤う赤い唇
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サフラワーと呼ばれる紅花 
どうせならそのオイルを使ってリップクリームを作れば~
「made in紅花」のリップクリームが出来たのに・・・と思ってしまったので
後日、我が家で実験してみる事にします
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キク科の植物・紅花
唇・頬、女性が恥じらう為の「彩」を演出するこの花は黄色の花びら部分だけが使われるそうです
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紅花:末摘花(すえつむはな) 呉の藍(くれのあい) とも呼ばれています
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深山/しんざん [Japan]

仙台市から国道4号線を南下した、太平洋に面した福島県との境に山元町
このあたりは宮城の湘南とも言われ
冬場でも特に温暖な気候で、イチゴやリンゴの特産地になっています
深山山麓少年の森「菱沼の郷」
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車生活の私 近くのスーパーへも、目の前の銀行へも車でビュ~ン!
なので・・・主人に無理矢理ウォーキング?に連れ出されました
新緑を感じながらの森林浴なら嬉しい連れ出し♪ でも・・・
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ここ・・・もしかしたら「山」? と言う事は~登る? 
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阿武隈山地の北部に位置し、角田・かくだ市と山元・やまもと町に跨る
標高287mの深山・しんざん  若木と森の良い香りがします
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太平洋からの温暖な空気と、蔵王連峰からの冷涼な空気が交わる「深山」
多くの山野草に出会えます
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はぁ~天使が舞い降りてきそう~
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「峰の清水」があり、湧水が注いでいます
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良い空気と良い気が流れる山を歩くと、邪念が吸い取られる?^^気がします
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ここから山頂の尾根道に向かって「鹿落ち坂」を登ります
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東地区斜面は麓の方がスギ、中腹から山頂にかけてはアカマツの植林地
経済的に利用されています
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疲れて・・・き・ま・し・た この看板・・・いるのね~いるなら是非とも会いたい
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いつも皆様に言われる「山を舐めた格好」ですが~ 
山の為の服装は持ってないし、山登りも嫌いです[もうやだ~(悲しい顔)]
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花撮りしながら、のんび~~りマイペースで登ります
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蛇苺が有ると言う事は「ヘビもいる~~~!」
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ペチャクチャうるさい登山者も、とうとう頂上へ到着~!
ワァオ! 山頂は東側が180度パノラマになっています 
登って来た時の汗も消えてしまうほど涼し~~い
山元町とその向こうに開ける太平洋
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波打ち寄せる海岸の幅は広くなったまま 以前はここに沢山の家々が建っていました
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蔵王は雲の中
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深山自然観察路として整備された登山コースは、多彩で標識も多く
要所には東屋、テーブル、ベンチなどの休憩設備があるので
子どもも安心して登山を楽しめます が、普段運動不足の50代にはキ・ツ・イです
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初夏の山歩き・大人のトレッキングにはこの時期はとても良い季節です
そして~viviトレッキングやウォーキングには~次への目的がある!
じゃなきゃ~歩きません^^登りません^^ 
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小野小町の故郷 [Japan]

秋田新幹線「スーパーこまち」  お米のブランド「あきたこまち
秋田の象徴として「こまち」が使われる訳・・・ご存知ですか?
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平安時代の女流歌人・小野小町は1200年程昔秋田県湯沢市に生まれました
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百人一首でも有名な小野小町はとても美しい娘で、13歳にして都へのぼり
都の風習や教養を身につけ、その後20年宮中に仕えたそうです
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容姿の美しさと優れた才能から「多くの女宮中並ぶものなし」と言われていましたが
色々人には言えない・・・辛い事もあったのでしょうね  
故郷恋しさに、36歳の時に小野の里(湯沢市小野)に帰郷
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数々の逸話や伝説を残し、92歳で世を去ったと言われています
その時代にしてはかなりの長生きですよね 
やっぱり~人間は己の思うように、ストレスなく生きた方が長生きできるのでしょうね
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秋田県湯沢市では毎年6月の第2日曜日とその前日の2日間
平安時代に活躍した小野小町を偲んで「小町まつり」が開催されています
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「まつり」は祝詞奉上に始まり、巫女舞で神前を清め
市内から選び抜かれた七人の小町娘が登場し、小野小町が作った和歌を朗詠し奉納します
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市女笠(いちめがさ)の衣装に身を包んだ小町娘がそろりそろり~と通る姿に
平安時代の雅な世界を体感できます

写真撮影会も行われていました  バズーカ砲を持ったおじさん軍団
「6人と一緒に並んでくださいよ~!」等と煽てられ~木に登ったサルのviviちゃん
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絶世の美女としての多くの逸話を持ち
その歌が、古今和歌集や小倉百人一首に撰ばれ活躍した女流歌人・小野小町
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華やかであり、哀しい小町の生涯を終えた地も~ここ秋田県湯沢市です
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一面の田園の広がる秋田県桐木田には、小野小町の産湯に使ったとされる井戸が
「桐木田の井戸」として今でも残されています
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まつりが行われる「小町の郷公園」に造られたレプリカの「桐木田の井戸」
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小町まつりの開催日は、古くから芍薬の花香る六月第二日曜日
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湯沢市には「深草少将(ふかくさのしょうしょう)の百夜通い」という伝承が残されています
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小町に想いを寄せていた深草少将は都を去った小野小町を追いますが
「百夜連続で私の元に芍薬を1株ずつ植えて、百株になったら想いに応える」
という条件を出されました
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こうして深草少将の百夜通いがはじまったのですが・・・
この伝承にちなみ「小町まつり」は芍薬の咲く6月中旬に毎年行われています
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この地に咲く芍薬の美しさと小町伝説は~後ほど・・・
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ウソの様なタイミングで、小町まつりから戻った家に届けられた「小野小町」の扇子
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以心伝心とはこれ如何に・・・ブログで仲良しのまりっぺちゃんからの京土産でした
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手すきの和紙
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和紙の紙皿
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小野小町を偲びながら家路に就くと~小野小町が家に着いていた!と言う驚きのプレゼント
まりっぺちゃ~ん!想いは重なりいつも心に届いてま~す 有り難う~!

今日から数日、虫博士の所(東京)にいます コメントのお返し遅れるかもしれませんが・・・宜しくお願いしま~す 
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楢下宿の春 [Japan]

雪の壁を通る「蔵王エコーライン」はGWから開通になります
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宮城と山形を結ぶ峠は、関山や笹谷など・・・様々ありますが
上山奥にある「金山峠」は標高が低く、使いやすかったようで
「楢下宿・ならげしゅく」は宿場町として栄えました
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羽州街道の宿場町
江戸時代には参勤交代や出羽三山詣で賑わいをみせた楢下宿
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宿場町というと、数百軒が立ち並ぶ大きな集落が一般的ですが
楢下は60~80軒の小規模な集落
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その中に23軒の旅籠屋をはじめ、大名や役人などが宿泊する「本陣」や
その予備の「脇本陣」幕府や領主のおふれを通達する「高札場」等があり
大変賑わいを見せていたようです
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茅葺屋根の古民家や、石造の眼鏡橋など街道の歴史を感じさせる景観が今も見る事が出来ます
街が栄えれば人も栄え、女児には山形特産の紅花と京人形が交換され
この地にも沢山の素晴らしい雛人形が残っています
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重寒さ厳しいこの地でも越冬する手段を得られた蔵
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2階へ上がる階段
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宮城県七ヶ宿から金山峠を越え、上山にぬける羽州街道の宿場町の楢下宿
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江戸時代の参勤交代の際には「新庄藩」や「庄内藩」「秋田佐竹藩」
遠くは「津軽藩」など、日本海側の十三藩がこの宿場町を利用したといわれています
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金糸で刺繍が施された、見事な着物や下駄
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集落の中心を流れる金山川には、通称「眼鏡橋」と呼ばれる石造りの橋が
明治時代の山形県令・三島通庸の命でかけられ、今でも現役で使われています
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観光目的で意図的に整備された街並みではなく
築200年を超える建物が日常生活の中にごく自然に残された街並みの「楢下宿」
ナビを使っても中々辿り着けない場所にある、山形の貴重な町です
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元町案内人 [Japan]

横浜・中華街での夕食 氷川丸を眺めながら~ブログチェック
横浜ならではの横 濱男さんへコメントを入れ~いつものvivi体操後~爆睡[眠い(睡眠)]
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目覚めと同時にこの眺め はぁ~美しい[ぴかぴか(新しい)]
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旅行客ならではの「あれも&これも~行かねば!やらねば!」の横浜の朝
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まずは「元町」へGO~!
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私の第一の目的は「ユニオン」 お買い物に夢中で写真は一切ありませ~ん[手(チョキ)]
私にとって欠かせない存在の「もとまちユニオン」
因みにこの日は、米倉涼子がお買い物に来ていてバッタリ!でした^^  
この辺りを見た事&経験ない虫博士を夢前案内し、先ずは坂を上り~外人墓地へ
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山手十番館
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北原さんのお店・トーイズクラブ この日は不在でした
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港の見える丘公園から
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ミッション完了!する為に向かうのは~
父の大好きな「ラムボール」のお店「喜久屋
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お土産用の「ラムボール」を買いながらショーケースを眺めていると~
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あれもこれも食べたくなるケーキがいっぱい! しかも、お値段:冗談の様に手頃[左斜め下]
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紅玉りんご
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モカロール
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レモンティーで一休み 横浜は山坂なので疲れます[ふらふら]
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1924年、喜久家が創業したのは横浜に居留地の名残りのあった時代
当時の元町通りは多くのムシューやジェントルマン達で賑わっていたのでしょう
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スイス婦人がレシピを持ち込み
ケーキ職人の喜久家先代にケーキを焼いて欲しいと依頼 
素晴しいケーキのできが~山手で評判になり
喜久家はどこの店よりも早く、ヨーロッパケーキを作れる日本の先駆者となったそうです
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幼い頃から何方かのお土産で、いつも家の冷蔵庫にあったラムボール 
父はウヰスキー&ラムボールを食べるのが好みで~結果・・・糖尿病です^^
家に帰って~家族で美味しくいただきました 
ラムなのにワインに合うんですよね~♪
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ラムとレーズンの味が喉から胸~胃へ、ジ~~~~ンとくる、ずっと変わらない味
ドッシリと重いラムボールの歴史=日本の歴史 横浜では絶対に欠かせないお土産です
因みに今日は虫博士の3度目の入学式 3度目なので~親は出席しません^^
孤高な道を歩む彼の第2外国語は日本語 第3外国語は中国語を選択した平成生まれの「令和」君
私達の時代、第3外国語にドイツ語orフランス語を選択しましたが~時代は変わりましたね

喜久家洋菓子舗ケーキ / 元町・中華街駅石川町駅日本大通り駅

昼総合点★★★☆☆ 3.5


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松本 町歩き・大正ロマンの上土通り [Japan]

松本城周辺  大正時代の雰囲気を今に残す「上土通り
松本城の東側 東門前の馬出し廊の堀の土を上げたところから町名となったそうです
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このあたりは上土町と呼ばれていたと伝えられます
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明治末期以降、松本市民の庶民文化の先端を行く「ハイカラな街」として栄え
一時期は商店街として発展してきた歴史があります
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女鳥羽川にかかる「ひとつはし」を渡ると目の前に見えてくる「セラミカ
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松本市旧市役所跡を「松本市営上土団地」として「大正ロマン」風に整備
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こちらは1913年(大正2年)に建てられた松本市旧市役所の写真です
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跡地に建てられました。
現在は国内隋一のポーランド陶器店になっています
女鳥羽川にかかる橋「ひとつはし」を渡った先から約240m
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徒歩3分ほどの長さの通りですが、一気に大正時代へタイムスリップしたかのよう
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そして~気になったのが・・・街中に「銭湯」が沢山ある事
「塩井の湯」さんも大正時代に建てられたというレトロな外観
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明治時代に源泉が発見され、地域の人々の要請を受けて銭湯を開業したそうです
源泉は、「源智の井戸」とともに名水100選にも選ばれています
良い水が湧く地には産婦人科も多いですね
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下町会館 「旧青柳化粧品店」
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昭和初期に建てられた洋風建物(旧青柳化粧品店)のファサード部を移築したものです
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化粧品店として栄えていた頃の写真がこちら[左斜め下]
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現在はまちづくりの拠点として活用されているそうです
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「松本」 市民と行政が手を取り合ってまちづくりに取り組んでいる素晴らしい町でした

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松本 町歩き・中町通り~縄手通り [Japan]

次から次へ・・・私の周りは時間が猛スピードで進み、泣きたくなります[ふらふら]  
出し遅れていた昨年11月・松本へ出掛けた際の記事をハワイ記事の間に~数回挿みますね

健康寿命延伸都市・松本
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空気が澄んでいて、水が美味しく、元気になる馬肉がいただける街
この地なら何人でも子どもを産みたくなる環境です
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北アルプスを望む長野県松本市は、国宝・松本城を擁する城下町
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ここ松本市は、世界的に著名な演奏家を輩出し
私も学んだ「スズキ・メソード」の本拠地でもあり
街中を歩いていると、沢山の楽器店を見掛けます 
路面店で、チェロケースを販売しているお店を見たのは初めてかも・・・
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長野県の特産でもある野沢菜を、夫々の味付けで包んだ信州名物「おやき」
ここ、松本が発祥の地です
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お腹いっぱいになるので、私は余り得意な分野では有りませんが
このお店の「お焼き」は、信州故に皮がそば粉との事 だったら~少し食べちゃう?
香ばしいそば粉の香りに包まれた醤油味の高菜
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餡は粒あん 手作りらしく、甘さ超~控えめの私好みのあんこでした
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白壁と黒なまこの土蔵が立ち並ぶ「中町通り
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400年の歴史を誇る城下町の松本市
かつて、海のない信州に塩や海産物を届けるため使われた「千国街道」
江戸時代には飛騨から江戸の最短ルートだったことから頻繁に使われていた「野麦街道」・・・
里山の街道が交差する松本には「土蔵」が多く残されています
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白と黒が織りなす時代をさかのぼったかのような風景が広がる町並み
この界隈は歩いてこそ風情が楽しめる通りです
縄手(なわて)通り
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昔、松本城を築城する際に外堀の外側を「」を張って測量したそうです
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松本城の南惣堀(みなみそうぼり)と女鳥羽川(めとばがわ)の清流にはさまれ
「縄のように長い土手」ということから由来している縄手通り商店街
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美味しそうなお店も沢山~! 信州味噌を使った物が多く、あれもこれも^^
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江戸期の城下町松本の風景を再現している「縄手通り」のキャラクター・かえるちゃん
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女鳥川でカジカガエルが鳴いていた頃、縄手が大変賑わっていた事から
シンボル・守り神?守りガエル^^になったそうです
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懐かしい香りいっぱ~いの通りが、松本には沢山ありました
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富岡製糸場 Ⅱ [Japan]

富岡製糸場・繭所などに使われた煉瓦壁
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フランス人技術者が瓦職人に作り方を教え、福島町(現甘楽町福島)で焼き上げられたものです
煉瓦壁の積み方は、フランス北部のフランドル地方で用いられた工法「フランドル積み」です
鉄水溜(重要文化財)
明治8年頃に造られた製糸に必要な水を溜めておくための巨大な水槽です
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明治維新後、政府は日本を外国と対等な立場にする為、産業や科学技術の近代化を進めました
その為の資金を集める方法として力を入れたのが、生糸の輸出
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製糸工場の設立の地にこの地が選ばれた理由として
製糸に必要な水が既存の用水を使って確保できる事が、ここ富岡には有りました
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この鉄水溜の製造には軍艦の造船技術であるリベット止めが使われ
およそ400トンの水を溜めおくことが出来たそうです
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蒸気釜所(重要文化財)」の煙突
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女工館(重要文化財)
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日本人工女に器械製糸の糸取の技術を教えるために雇われた「フランス人女性教師」の住居
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首長館と同様、コロニアル様式が採用され風通しの良い造りになっています
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ベランダの天井には板が格子状に組まれ、当時の日本建築にはない特徴が見られます
診療所
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インフルエンザ等、当時ではワクチンもない時代
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診療所が置かれることで女工さんも安心して日々の仕事に励めたでしょう
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首長館・ブリュナ館
指導者として雇われたフランス人ポール・ブリュナが家族と暮らしていた住居
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後に建物は、宿舎や女工に読み書き・裁縫等を教える学校として利用されました
これは、企業内教育の先駆けと言えます
寄宿舎
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一人に与えられたスペースは、たたみ2畳ほどだったそうですが
お風呂には毎日入れたそうです
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富岡付近は養蚕が盛んで、生糸の原料である良質な繭が確保できる
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工場建設に必要な広い土地が用意できる
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水が豊かである
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蒸気機関の燃料である石炭が近くの高崎・吉井で採れる
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外国人指導の工場建設に対して地元の人たちの同意が得られた
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等の理由で、富岡に製糸場を設立する事が決められました
西置繭所(国宝)
東置繭所と同様に2階は繭を貯蔵していた建物で、現在大規模な修復工事を行っていました
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大きさ・構造は東置繭所とほぼ同じ
ですが、1階の北半分の東面を官営期に蒸気機関を動かすための石炭置き場として使われて為
東面には壁がありませんでした
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繰糸所、西置繭所、東置繭所の3棟が「国宝」となっています
「社宅群」
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「富岡製糸場と絹産業遺産群」
長い間生産量が限られていた生糸の大量生産を実現した「技術革新」と
世界と日本との間の「技術交流」を主題とした近代の絹産業に関する遺産です
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日本が開発した生糸の大量生産技術
かつて一部の特権階級のものであった絹を世界中の人々に広め
その生活や文化をさらに豊かなものに変えました
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富岡製糸場は現在まで、ほぼ変わらぬ姿で残されています
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富岡製糸場Ⅰ [Japan]

「めがね橋」から高崎方面へ移動 
翌日は、予てからか行きたかった世界遺産「富岡製糸場」へ向かいました

時は「せごどん」の時代 
正に「紀尾井坂の変」で亡くなった、大久保利通が日本を築き上げていた頃
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富岡製糸場
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明治5年(1872年)に明治政府が日本の近代化のために設立した模範器械製糸場です
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平成26年には「世界遺産一覧表」に記載され、更に有名になりました
東置繭所」 
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1階は事務所・作業所等として使い、2階に乾燥させた繭を貯蔵した所です
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富岡製糸場は、国が建てた大規模な器械製糸工場です
その頃、長野には「あぁ野麦峠」の題材ともなった製糸場がいくつもありました
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長さ約140mある「IMG_9303.JPG」 繭から生糸を取る作業が行われていた場所です
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フランス式の300釜の繰糸器が並び、当時の製糸工場としては世界最大規模でした
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小屋組には「トラス構造」という従来の日本に無い建築工法を用いています
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そのため、建物内日は中央に柱のない広い空間が保たれています
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更に採光の為の多くのガラス窓や、屋根の上に蒸気抜きの越屋根が取り付けられました
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現在は、昭和41年以降に設置された自動繰糸機が保存されています
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江戸時代末期、鎖国政策を変えた日本は外国と貿易を始めます
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その当時最大の輸出品は生糸でした
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生糸の輸出が急増したことにより需要が高まった結果
質の悪い生糸が大量につくられる粗製濫造問題がおき
諸外国から生糸の品質改善の要求、外国資本による製糸工場の建設の要望が出されました
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明治維新後、富国強兵を目指した政府は、外貨獲得のため、生糸の品質改善・生産向上を急ぎます
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しかし当時の民間資本による工場建設は困難な状況であったため
洋式の繰糸器械を備えた官営の模範工場をつくることを決めました
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➀洋式の製糸技術を導入すること
②外国人を指導者とすること
③全国から工女を募集し、伝習を終えた工女は出身地へ戻り、器械製糸の指導者とすること
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こうした考え方をもとに雇い入れられたフランス人、ポール・ブリュナの指導のもと
西洋の技術を取り入れた官営模範器械製糸場(富岡製糸場)が設立されたのです
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世界遺産の「富岡製糸場」 奥が深いです この後も続きます
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碓氷第三橋梁(めがね橋) [Japan]

松本街歩き、まだまだ続きますが~穏やかな足元に雪が積もる前に・・・
11月末、紅葉が美しかった「群馬」に記憶&足跡を辿ります

松本を背にし、前橋方面へ  アルプス連峰の冠雪がとても美しい
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信号機のある高速道は貴重な体験^^
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碓氷第三橋梁(うすいだいさんきょうりょう)
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通称「めがね橋
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明治25年4月に建設が始まり12月に完成
芸術と技術が融合した美しいレンガのアーチ橋は
川底からの高さが31mあり、我が国最大級のものです
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この4連の雄大なアーチ橋は、通称「めがね橋」として親しまれています
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橋梁は、第2橋梁から第6橋梁までの5基が残っていて
すべてが煉瓦造り 「国重要文化財」に指定されています
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通称「めがね橋」として親しまれている煉瓦アーチ橋
長さ91m、高さ31mでわが国最大の煉瓦づくりアーチ橋は橋上を歩くことができます
橋の上までは歩幅の大きい階段をハフ~ハフ~言いながら登ります
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昇り切ると橋の上 陽が落ちる前に来れて良かった~終わりかけた紅葉が美しいです
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アプト式鉄道時代の廃線敷を利用して
横川駅~熊ノ平駅の間の約6kmを遊歩道として整備されています
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4時半過ぎの橋の上 やっぱりカップルの姿が似合います^^
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向こうに見えるのは新線です
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アプトの道は国の重要文化財である旧丸山変電所をはじめ3つの橋梁と10の隧道があります
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夕暮れ時にはチョッと怖い・・・使われていないトンネル
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碓氷峠は「めがね橋」を代表する鉄道煉瓦構造物群等の「鉄道遺産」に触れる事が出来ます
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